夢なら覚めて。

 そんなわたしの願いも虚しく、園児たちは元気に園庭を駆け回っている。転んで泣く子あり。それを慰める子あり。微笑ましいものだ。
 わたしはと言うと、ちょうど自分の背の高さで外が眺められる窓枠から園児たちを横目で見つつ、自分が読む本を選んでいた。母の昔話によると、わたしはよく絵本を読む子だったらしいので、そう不自然な行動ではあるまい。
 ……しかし、見事に絵本しか置いてない。リアルのわたしは時代小説とか好きなんだけど、まさかないですよね。知ってます。結局昔読んだことがありそうなやつを選んで、わたしは椅子に座った。
 そういえば、絵本は確か担任が読み聞かせるスタイルが多かった気がする。まだ字が読めない子が多いからだろう。
「詩織ちゃんはその絵本が好きなの?」
 保育士さんだ。
「うーん」
 別に好きというわけでもないのだが……もっともありきたりな部類に入る『赤い靴』だし……。
「まあ、嫌いじゃないかな」
 思わず普段どおりの口調で答えてしまい、保育士さんをきょとんとさせてしまった。あ、やっちゃった。保育士の菅原先生(連絡帳を見て思い出しました、はい)は、一瞬ポカンとしてから、すぐ笑った。
「どうしたの?」
 わざとらしく訊く。
「ううん、なんだか今日は詩織ちゃん、お姉さんみたいね」
 そうでしょうとも。二十代前半と思われるあなたよりだいぶ年上ですからね。
「もうおねえさんだもん」
 ふふん、と得意げな言葉が口をついて出た。あれ? おかしいな。別にこんなこと言うつもりなかったんだけど。
「そっかー。詩織ちゃんもう誕生日だもんね。お姉さんだよね」
「うん!」
 また思わず元気な答えが飛び出した。
 ああ、そうか、子供は思ったことどんどん口にしちゃうんだ。参ったな。
 いや、それより。そうだー、わたし今月誕生日なんだよね。クラスの中でも一番早いんだから、嫌になってしまう。もっとも、この頃は『誕生日が早い』は一種のステータスだったのだけど。かけっこは大抵速いし、ひらがなもいち早く覚えたし。よーしそろそろ園庭限定で補助輪なしの自転車にだって乗っちゃうぞーってなもんだ。運動神経はそんなにいいほうじゃないけど、何故か自転車だけはすぐ乗れたんだよね。ただしまっすぐ走る場合に限る。

 そういえば菅原先生って、
「せんせい、けっこんしてるの?」
 おっとまた口にしてしまった。
「うふふ、してるよー。一昨年結婚したの」
 ゲフッ。ご結婚早めですね先生。
「じゃあしんこんさんだね!」
「そうだよー。よく知ってるねえ」
 新婚さん、腐るっっっほど見てきましたからね。プライベートでも会社でも。
 くっそー。幸せそうでいいなーっ。わたしなんかわたしなんか……。あれっ?
 今って、わたし幼児園児じゃん?
 菅原先生が庭に居る子供たちに声を掛けている。子供たちが集まって、靴を脱ぎ、教室内に入ってきた。
 もしかして、これ人生やり直しじゃない?
 だってこんなリアルな夢普通ありえないでしょ。
 神様が存在してわたしを哀れんでくれたのか、それともゲームの駒か。何にしろ。
 もしかしてもしかして、これって強くてニューゲームってやつじゃない?
 だとしたら!

 これワンチャンあるんじゃないですかね!

「しおりちゃん、ねんど持ってこないの?」
 はっ。
 心配そうに覗き込んでるのは由香だ。危ない危ない。わたしは慌てて油粘土を取りにロッカーに向かった。

 ……子供の手ってなんでこんなに不器用なんだろう。小さいのだから小回りが利いても良さそうなのに。猫になるはずだった油粘土はなんだかよく判らない謎の生き物(?)に変貌した。かろうじて耳が判る程度だ。隣の席の由香はわたしよりよほど上手にうさぎを作っていたので、ひとえにわたしの手先に器用さが足りなさすぎるせいかもしれないけど。長年にわたるデスクワークでタッチタイピングは上手くなったのになー? ……今やっても粘土と似たような結果になりそうだけど。
 というかそもそもパソコンが大して普及してないか。そうか。そうだよね。まだ昭和だもんね。卒業した小学校の教室にパソコンが配備された話を聞いた日のことを思い出す。すでに中学生にだったわたしは、『なんで自分が卒業した後に』と思ったものだ。幼稚園児が中学生時代を思い出すのもおかしな話だけど。
 と、どうでもいいことを考えている間に造形の時間は終わっていた。
 油粘土なんて何十年ぶり? というくらい久しく触っていなかったけど、やってみるとなかなか楽しいものだ。元に戻ったら、童心に返りたいときはやってみよう。手がべたべたになるのは難点かな。
 
 各々作品をロッカーの上に並べて、手を洗いにいく。
 手洗い場はぎゅうぎゅう詰めで、何故か「女子が多いエリア」と「男子が多いエリア」、そして「半々くらいのエリア」に分かれていた。
 あっ……。この頃からもう良くも悪くも異性を意識している(所謂『男子ってやーねー』『女子ってめんどくせー』という)グループと、していないグループとが分かれてるのか。
 自分はどうだったっけ。思い出せないけど、強いて言えば後者だった気がする。ちなみに由香も後者。小学校に上がったときに一番モテてた女子も後者(今確認した)。異性を意識してるしてないと、その後の人生でリア充になるかそうでないかは関係ないのだなと思う。そしてわたしも、後者に混じって手を洗う。

 桜でんぶってなんであんなに好きだったんだろう?
 甘いから?
 でも甘いとご飯には合わない気がするんだけど……。
 などと考えながら、桜でんぶで彩ったご飯、大根と豚肉の煮物、磯部揚げ、ミニトマトのお弁当を広げる。
「それでは皆さんご一緒に」
「いただきます!」
「いただきます!」
 先生と日直の子の後に続いて、子供たちの元気な声が教室を満たす。
 隣の席の男子のお弁当はサンドイッチがぎっしり。おお、それも美味しそうだな少年。反対隣は大きな鶏の唐揚げがこんにちはしている。こんにちは! お昼になるとテンションが上がるのは、園児の習性上仕方ないと言える。その習性は大人になるにつれ一見なりを潜めるが、その実お昼が楽しみでしょうがないという人はとても多い(わたし調べ)。やはり三大欲求。抗えぬ力があるのだ。
 さて、自分のお弁当に向き合う。おお、この磯辺揚げ、チーズ入りだ! お母さん最高!! わたしの好み、解ってるー! 大根の煮物もしみしみで美味しい! さあ次は桜でんぶご飯……、……、…………、あれ。これ。美味しいっ! ご飯に合わないとか言い出した奴は誰だぁっ! 桜でんぶに絡んだ唾液の湿潤感と冷えたご飯が合わさると、こりゃ美味い! ちなみにてんぶは田麩と書いて、原料は鯛らしい。めで鯛。
 ああ。なんて美味しいんでしょう。
 そういえばこの頃はキャラ弁なんて見たことなかったなー。多分存在はするんだろうけど、みんな普通のお弁当というのが一般的だったような。最近は……ああ、『リアルでの最近』はむしろキャラ弁を控える方向に風が向いているようだけど、その風潮は続いて欲しい。もし自分が作るとなったら面倒すぎて発狂するに違いないから。粘土細工もマトモに作れないわたしには、ちょっと荷が勝ちすぎる。

 さて、お昼休みになった。
 朝に引き続き絵本でも読むか、それとも適当にお絵描きでもするか。
 由香を探してみたが、教室の中には居なかった。そのとき、
「しおりちゃん、あーそーぼ」
 おうっ。お声が掛かったぞ。誰だ誰だ。
 園庭へ続く出口からわたしを呼んでいたのは、バス停が一緒のミカちゃんと、あーっこの子憶えてる! 一部の女子のボス的存在で、面倒見の良さから先生にも一目置かれてたミサコちゃんだ!
 小学校が別々になったのでその後どうしてるかまったく記憶にないが、そうかー、幼稚園のときは目立たないタイプのわたしにも声を掛けてくれるようないい子だったんだね。
 こんな小さい頃から気遣いが出来るなんて、偉いなあ。
 そしておままごとでわたしが割り当てられた役目は……、ペットの犬だった。
 き、気遣い……。
 犬って何が、
「わんわん、わんわん!」
「もう、ポチったら、しずかにしないとだめでしょ」
「くう〜ん」
「じゃあママ、いってきます」
「いってらっしゃい、パパ」
 なにが面白いんだよーーー??
 それから子供役のショウコちゃんは幼稚園に行き、ママ役のミサコちゃんはひとしきり家事をしたと思ったらなんとパートに出かけてしまった。幼稚園児がパートて。妙なところで生々しいな。多分お母さんがパートに行ってるんだろうな。
 わたしは完全に手持ち無沙汰になってしまった。つ、つまらん……暇すぎる。
 他に誰も居ない家(と仮定された別に仕切りも何もない空間)は、仕事が暇な日の会社くらい時間が長く感じる。もう早くチャイム鳴ってくれ。

「しおりちゃん、なにしてるの?」
 と、声を掛けてくれたのは、お昼ご飯のとき隣でサンドイッチを頬張っていたキヨフミ君だ。
 何をしてるかって? わたしはまごつきながら答える。
「……いぬ」
「ひまだったらドッヂボールやろうよ」
 わたしの返答を聞いてか聞かずか、キヨフミ君はぐいとわたしの手を引く。やだ、強引なんだから。おばさん困っちゃうなー、なんて。思っていたら、何のことはない。ドッヂボールをやるにはちょっと人数が少なかったのだ。わたしを含めてやっと七人。うちの幼稚園のドッヂボールは、円形を作って内野と外野に分かれる単純なものだ。わたしの加入により、これでドッヂボールらしくなる。わたしは腕を捲くった。

 果たして、わたしは生き残った。
 幼稚園児たちによる熾烈なボール遊びの結果、わたしだけはボールを当てられずに最後まで円の中に立っていた。外野三人が全員内野と入れ替わっても、わたしは内野のままだった。ふふん。どうだ、わたしの逃げ足の速さは。まあこれ、社会に出ても何の役にも立ちませんけどね。
 チャイムが鳴る。
 子供たちが駆け出す。園庭は徐々に人気がなくなっていく。
 キヨフミ君がボールを持って園庭の隅に走っていった。ははあ、なるほど。ボール籠はその遊具倉庫の中ですね。というか、倉庫なんてあったのね。記憶の彼方に吹っ飛んでたけど。よく見りゃニワトリ小屋やウサギ小屋もある。当番の子供たちが餌やりなどを行うのだろう。

 こうやって一応何事もなく無事に、わたしの二度目の幼稚園生活はスタートを切った。
 その年齢に達するまでに紆余曲折はあろうけど、あとはすくすくと成長し、それなりに努力してそれなりの学校を卒業して就職をし、玉の輿とまでは言わないのでちょっといい感じの人を見つけて結婚するのだ。
 ……都合が良すぎるだろうか。まあいいや。
 将来の夢は『お嫁さん』でお願いします。
 それも、それなりに幸せな、で。

「せんせい、さようなら!」
「はい、さようなら」
 一斉に帰りの挨拶をし、子供たちはバスに乗り込む。
 最後の子が乗り込んで座席に着いた。何のキャラクターも描かれていない古めかしい幼稚園バスは、緩やかな坂を下り始める。そして行きとは逆周りで、子供たちを送り届けるため走り出した。
 後ろの座席では何人かが『となりのトトロ』の歌を歌っている。歩こう、歩こう、ってアレだ。歩いてないけどな。
 となりに座った由香と他愛無い話をする。今日は誰と遊んだとか、お弁当は何だったとか。
 そのうち由香の口数が少なくなった。
 理由は解る。眠いのだ。
 何故ならわたしも、今は猛烈な眠気に襲われている。
 うーん。さすが三大欲求。家の近くのバス停まではあと数分といったところだが、まあこれが眠い。
 結局うつらうつらし始めた由香の隣で、わたしも舟を漕ぐことになってしまった。

 どこか遠くで、目覚まし時計のベルが鳴っている。
 シンプルな、二つの鈴の間を小さなハンマーが行き来してそれを叩く、あのうるさいやつだ。
 火災報知機にも似たけたたましい音は、わたしを瞬時に覚醒させる。
 ただし、わたしの手はその音の発生を止めるために動いた。
 リン、と余韻を残して目覚まし時計は沈黙する。
 ああこれでもう少し眠れる。睡眠という深淵に、わたしは吸い込まれていった。

 ぼす。
 頭が何かにぶつかって、わたしは目を覚ました。
 バスがブレーキをかけた勢いで、前の座席に頭突きしたらしい。気が付くとそこは、由香が降りる停車場だった。
「ゆか『ちゃん』、起きて! バス出ちゃうよ!」
 まだ寝ぼけ眼だった由香はわたしの声に飛び上がる。
「ほんとだ! じゃあしおりちゃん、またあしたね! ばいばい!」
 大慌てでバスから降りる由香を見送って、わたしはまた背もたれに体重を預けた。

 というか。
 なんか。
 今、不吉な夢を見た気がする。











19:44 2014/12/22



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