誰かは海の音を「ザザーン」とか「ざぱーん」だと表現したけれども、私にとっては「どーん、どーん」だ。
 それは私が育った街に面した浜に打ち寄せる波が、毎年誰かしらが流されたり流されかけたりするような荒波だったからかもしれない。そして私はこの歳になるまで、自分の生まれ故郷以外の海を知らない。よって、轟音以外の海が全く想像できない私は、テレビ画面に映る爽やかな浜辺には違和感しか持てない。
 海と云うものは、子供だけで絶対に行ってはいけない危ない浜か、荒くれ者の漁師たちが自分の船を自慢げに並べている小さな漁港かのどちらかなのだ。漁港には雑魚目当ての野良猫がいて、子供心には猫と遊びたくてしょうがないのだが、私が小学校に上がるより数年前に海に落ちた子供がいて、それ以来港に入ろうとする子供がいると大人がピリピリするようになったので、私たちはあまり近寄らないようにしていた。その子供が、海に落ちる時に並んでいる漁船の船べりに頭をぶつけて頭を何針も縫う怪我をしたことも大きな要因だと思う。
 とにかく私たちは、というか私たちの世代以降の子供たちは、『子供が海に落ちて船にぶつかって頭を縫った』と云う話を嫌というほど聞かされて育ってきたので、しかも先日帰省して聞いた折には尾ひれがついて『子供が海に落ちて船にぶつかって頭蓋骨が割れるほどの大怪我をして頭を縫った。足も骨折していた』にバージョンアップしていたくらいなので、港に行きたいと言う子供たちのほうが少数だったのだ。

 その点、浜はいい。人が少ないし、波はうるさくても大人と一緒なら気兼ねなく遊べる。大人と云っても、親である必要はない。私の場合は、よく遊ぶ女の子の従兄が、彼女と私をまとめて面倒見てくれていた。彼女が公務員だった父親の転勤で遠くに引っ越してしまっても、アリサちゃんの従兄のまーくんは私の浜遊びに付き合ってくれた。私が小学校に入った後くらいの頃、彼は高校三年生だった。今思えば大学受験の大事な時期に、アホなガキの世話などさせて本当に申し訳なかったと思う。後で聞いたところによると、まーくんの親は受験に反対していたそうだ。卒業後は漁協に就職させたかったらしい。今も昔も、親世代が安定志向なのは変化がない。

 私の浜遊びに変化が訪れたのは、もう冬に差し掛かろうと云う時期だった。まーくんは、突然遊んでくれなくなったのだ。小さな町だったから、噂はすぐに私にも届いた。まーくんには恋人が出来たのだ。初めて接する身近な人物の色恋沙汰に、私たち一年生は色めき立った。同じクラスの(と言っても学年にクラスは二つしかなかった)大人びた女子なんかは、「まーくんケッコンするんじゃない?」なんて言っていた。今にして思えば「そんなたかが高校生の恋愛が結婚に繋がるなんて」と思うが、幼稚園時代の「将来は誰だれ君のおよめさんになる」レベルの価値観と比較すると、高校生と云う大人の恋愛では充分にあり得る話だった。そういう訳で、デートに勉強に忙しいまーくんは、私とは遊んでくれなくなったのだ。
 最初のうちは平気だった私も、海に行けないとなると段々つまらなくなってくる。そこで白羽の矢が立ったのは、身体を壊して漁師を引退した私の母方の祖父だった。まあこれが頑固爺で、亭主関白が服を着て歩いてるような爺さんだったが、孫の私にはそれなりに優しかった。海だけではなく山に行ったり田んぼに行ったりで、元気のあり余る小学生には願ってもない遊び相手だった。山じゃ椎の実を拾い、田んぼじゃ落ちてる稲粒を拾い、もしかしたら爺さんにとっては放牧のようなものだったかもしれないが、アホな私にはうってつけの、手間も掛からず金も掛からず器用さも必要ない遊びだった。
 それでも、やはり遊びに行くと云えば海が断然多かった。よくやったのは、石を割る遊びだ。大きな石の上に平たい石を置いて、別の石を叩きつけて割る。今にして思えば一体それの何が面白かったのか解らないが、祖父がやるのを手本にしてひたすら割った。と言っても、私は下手くそで大して上手く割れなかったのだが、その次に、打ち上げられているイカの背骨をチョーク代わりにして落書きをすること。これは堤防にやったので祖父もいい顔をしなかった。最終的に平べったい背骨はフリスビーになって波間に消える。
 あとは、海に石を投げる遊びだ。大きな石や小さな石、波があるので水切りは出来なかったが、私は浜辺のありとある石を波に投げた。投げてはいけない、とされたのは赤い石だ。海の神様が怒って波を高くするからだ。このルールを決めたのは誰なのか定かではない。子供たちの誰かだったような気もするし、祖父だったような気もする。それでも時々は赤い石を投げた。主にゴツゴツしたものだ。祖父からすれば、子供たちが遊ぶ浜辺の石を丸くするための方策だったのかもしれない。
 
 カーナビにはドラマが映し出されている。二時間ものの推理サスペンスだ。サスペンスにはよく海が出てくる。崖か浜か、犯人が自供したり被害者が何故か怪しい奴を詰問するために呼びだしたりする。何でそんな危ない所に自ら赴くのか解らない。私には例え気心の知れた相手が犯罪に手を染めているかも知れなくても、何をされるか解らないのに二人っきりで会ったりできない。何しろ相手は人を殺したりしてるかもしれないサイコな奴なのだ。だから、ドラマというやつは大層ご都合主義に基づいて作られていると思う。
 今もまた、殺人の目撃者を犯人が殺そうと刃物を取りだしたところである。白昼堂々、誰かに見られるかもしれないのに怖いもの知らずな奴だ。そして案の定、主人公である探偵とその女性助手が駆け付けた。犯人は観念して語り始め、回想が始まった。

 山の中の一角に、不法投棄の天国のような場所がある。男は暗闇の中、ブルーシートに包んだ人の形の何かをバンから引きずり出すと、投棄物の中の壊れた冷蔵庫に目を付け、ガムテープを破って扉を開けた。ブルーシートを折り畳むように無理やり押し込んで、扉を閉めると上から別のテープを使いぐるぐると巻く。一連の作業に息が上がる。男は焦っている。人に見られる前に立ち去らなくては。だから、合皮の手袋の一部が破けてテープについてしまったことにも気付かない。そして、その作業を見ている人間がいたことにも。
 男が平穏な生活を取り戻した頃、一通の手紙が届く。『お前の秘密を知っている』『ばらされたくなければ金を用意しろ』よくある恐喝だ。男は恐怖しながら日々を過ごす事になる……。

「聴いてる?」
「聴いてるよ」
 私は目元を覆った。聴きたくない話だ。
「だからね」
 彼女はゆっくり、子供に言い聞かせるように言った。
「他に好きな人が出来たの」
 私の脳内には、さっきの男の回想がよぎっていた。彼女が他の男のものになるなら、殺してしまおう……そういう動機だった。私にも、今それを行う理由と手段がある。ここは山が近い海辺で、停車した車の中には二人しかいない。寂れた県道の前後数キロメートルには人家や商店もない。先日キャンプに行ったばかりだから、おあつらえ向きにブルーシートやガムテープまである。彼女はカーナビを消したいに違いない。大事な話をしている時に殺人ドラマなど見たくないだろう。しかし彼女には操作方法が解らないので、結局ナビはドラマを流しっぱなしだった。
「送るよ」
 私は返事を待たずにエンジンを掛けた。ドラマの犯人と違うところは、私には殺人を行う度胸も、それを隠し通す勇気もないということだ。彼女は私から目を背けると、堤防の向こうの暗い海を見た。私と同じように、彼女も海辺の出身だ。海の思い出をたくさん持っている。悲しい時も嬉しい時も、私たちは海にいた。どんな感情でさえも、海にしみ込んでいった。全てを飲むような海の音が、耳にこびりついて離れない。
 カーナビはもうドラマを映してはいなかった。街の地図と自分の位置を表示した画面が、車が進むにつれ僅かに動いていく。ドラマはありきたりなハッピーエンドで終わっただろう。私たちはそうじゃない。私は彼女を殺してはいないのに、私たちはハッピーエンドじゃない。結局他の車とは一度もすれ違う事なく、私たちは彼女の家の前に着いた。私の家からは二時間以上離れている。生活圏も被っていない彼女と、もしかしたらもう会うことはないかもしれない。
「じゃあ」
 静かにドアを開けた彼女を、私は呼びとめた。
「亜里沙」
 彼女が振り向いた。少し泣きそうな顔をしている。あの時と同じだ。引っ越しを伝えに来たあの時と。
「元気で」
 短く言うと、彼女は頷いて、控えめにドアを閉めた。彼女が玄関に消えるのを見送ってから、私はアクセルを踏んだ。のろのろと車は動き出す。裏道を抜けて国道に入り、しばらく走っていると急に涙が出て、私は慌てて路肩に停まった。
 大学を出てから五年、短いようで長い付き合いだった。恋愛というよりも情のほうが大きくなって、空気のようになっていた。そのはずだった。涙はとめどなく溢れる。喪失感が私を満たしていた。彼女自身と、彼女と過ごした五年以上の月日を一度に失ってしまった。
 私は今なら赤い石を海に投げ込むだろう。
 大きな波が、次から次へと湧いてくる悲しみを呑み込んでくれるように。
 海鳴りに祈りを捧げるように、私は泣き続けた。






2013/12/21



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